受験業界の闇

受験業界は日本の教育水準を低下させる諸悪の根源である。

 

私は浪人を一年経験し、「受験とは何か」という問に一年間向き合ってきた。その中で気づいたこととは、「受験とは非常に単純なものであり、それらを複雑化させているのは学校の教師、予備校講師、社会風潮、マスコミなどの受験生を取り囲む環境なのである」と。

 

受験とは非常に単純明快なものである。現在、インターネットなどの普及によって様々な情報が誰でも手に入る時代になっており情報格差というものが希薄になってきた。

また、受験生の志望大学の求める学生教育水準も非常に明確になっており、1990年代のような大学の入学試験問題の難易度が大学の格を象徴するような風潮はほとんどなくなり、大学が求める学生像が過去問を見ることで非常に明確に提示されている。

 

例えば代表的な国立大学として、筑波大学は非常にオーソドックスな問題を課すことで、学問の基礎体力の習得の有無を重視している。また東京大学は、教科書レベルの基本から受験生がそれらを利用して意外な角度から物事を捉える柔軟な思考力を重視している。その他の大学でも同様に、大学の求める学生像は明確に過去問に記されている。

 

だが、現代の受験生を取り囲む環境は大学受験とは何かという問いに対して複雑な解答を受験生たちに提示する、しまいには「勉強は才能か努力か」などといった抽象的な問題を突きつける場合もある。

何度もいうが大学受験は非常に単純なものである。例えば数学で言えば、青チャート⇒大学への数学⇒過去問でどんな大学でも合格点をとることは可能である、英語でも、単語熟語英文法を学校で与えられるような参考書で潰し、長文を毎日やり、過去問をやればいいだけだ。

 

予備校講師は他人との差異性無しにお金を稼ぐことはできない、だから現在、受験参考書は数え切れないほどあり何の参考書を使えばいいのかと受験生を悩ませる、このことがまさに環境が問いを複雑化しているということではないか。

 

予備校は情報弱者である受験生を対象に、お金をむしりとる非人道的な集団である。

受験生は気づいてほしい、受験は本当に単純なものであり、志望大学の門戸は大きく開かれているということに。